死の恐怖から天国への希望へ
私は日出町の片田舎で誕生し、両親と二人の姉の親子水入らずの中で育ちました。父が少し怖い位で学校に行っても元気一杯、天真爛漫でした。小1の時、前日元気だった祖母が脳溢血で倒れ一週間後他界しました。私は吃驚したのと葬儀の後の土葬に大きなショックを受けました。その夜は母と寝ましたが静かなのでこの人も死んでいるのではと落ち着かず大きな鼾をかいていた父の所に行って安心して休みました。
其の後、近所の方や親戚の者が亡くなると死の恐怖を覚えると共にやがて両親も自分達も最後は土の中に埋められると思うと何とも寂しい、空しい思いに成り、又、何の為に勉強をし、生きるのかと子供心に疑問を抱いていました。けれども親も、先生も、死の事を話して呉れませんし教科書にも載っていませんでしたので、生涯解決は無いと密かに思い諦めていました。
この様な私が教会と関わりを持つように成りましたのは上の姉が、1969年別府教会開設の集会でクリスチャンに成り、私を誘ったからです。傲慢な私は姉が研修で居なかったのと私が行ったら先生方も喜ぶだろう、吃驚するだろうとの動機で其の年の11月の特別集会に出席しました。お祈りに和した時不思議な安らぎを覚えました。其の時は其れで終わりましたが、翌年自分が20歳に成るので大人の世界は汚いようだから染まら無い為にと誕生日を機に再び教会に行きました。
集会出席するに連れて、子供の時叔母の店でお釣りを多く取って自分の物にした罪を示され、今頃思い出させるなんて嫌だなと思うと共に段々心が穏やかで無く成りました。そんな折の9月特別集会があり、罪の無い人は手を挙げて下さいと言われ、心の中は水が沸騰するかの如くどうしようもなくなり、私の罪の身代わりに十字架で死んで下さったイエス・キリスト様を神・救い主として心に受け入れ、また、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」の聖言を信じ罪を悔い改め、救われました。
その夜、何んと幼少からの死の恐怖から解き放たれ、心に平安と喜び、天国への希望が与えられました。罪(真実の神を信じないで、自分勝手に生きてきたこと)が解り、罪を認めた故に、神様の愛を知る事が出来、今は心から感謝しています。この素晴しい救いを知らせるのが一番の親孝行と確信し両親に伝え、翌年、4年後と二人とも入信し父は24年前天国に入れて頂きました。
全ての人がイエス様を信じて本当の祝福の生涯にお入り頂きたいと心から願っています。
「罪から来る報酬は死です。しかし神の下さ賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」新約聖書 ローマ6章23節