どのようにしてクリスチャンになったか

 わたしが、イエス-キリストのことを初めて知ったのは、小学校4年生か5年生の頃でした。母が買ってくれた伝記”キリスト”という本がきっかけでした。
 そのころの私は、いじめにあっており、暗い毎日を過ごしていました。こころの中は、復讐心でみたされており、すさんでいましたが、キリストという伝記を読んだときに、イエス・キリストのなんともいえない聖さに感動したのを覚えています。
 このことがきっかけで、キリスト教というものに何となく興味を持つようになって居たのかも知れません。
 わたしが実際に初めて教会にいったのは、高校3年生の大学受験も押し迫った12月のことでした。クラスの哲学好きの友人に教会にいってみらんかと誘われ、今晩のような集会=伝道会に出席しました。その頃の私は、だいたい真面目な人間との評価を周囲からもらっていましたが、実際は真面目な面をもってはいるものの人の目につかないところ、特に心の中は罪で満たされていました。わたしは、正しい生き方をしたいという思いはありましたけれども、心のなかはどうしようもありませんでした。よく言われる偽善と呼ばれる状態だったと思います。偽善をやめる方法としては2つ道がありました。それは真面目な生き方を目指すのはやめて、思いのままに良いことも悪い事もしながら生きていくという方法と、心の中をきれいにして、本当にただしい人間になることでした。わたしはどちらを選ぶ事も出来ずに、結果的に偽善的な生き方をつづけていました。
 初めて集った伝道会のことですが、牧師先生の話は興味をもって聞くことが出来ました。ただ、世間一般の人がもつような疑問は私ももっていました。キリスト教の良さはわかるけど、どうして他の宗教を否定するのだろう、とか、キリスト教徒同士がどうして争うのか、と考えていました。ところが、伝道集会に続けて出席している内に、自分がもっている疑問は少しずつ解消されていきました。それから、大学受験のためすこし教会から遠ざかりましたが、わたしに再び声を掛けてくれる人がいて、伝道会に集い続けました。
 そうこうしているうちに、牧師先生が神様を信じて歩みませんかとのお勧めを頂き、1990年4月22日にイエス・キリストを救い主として受け入れクリスチャンになりました。そのときのお言葉は、ヨハネの手紙第一1章9節、”もし、わたしたちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめて下さいます。” でした。
 クリスチャンになったといっても、聖書は知らない、賛美歌は知らない、クリスチャン生活と言ってもどうすればいいのかも分からないと言った状態でした。
 しかし、1990年4月22日にクリスチャンになったと言うことは、当時は全く感じなかったのですが、その後の人生を大きく変えました。このときは、大学入学直後ということで、下手をすれば、先ほどお話したように偽善をやめるために、思いのまま好きな事をして過ごすというライフスタイルになっていたのではないかと思います。
 イエス様は、私が自分で出来なかった心の中の罪を解決してくださいました。心の中のことですから、私の周りの人達は私がクリスチャンになって変わったというような印象はあまりないかも知れませんが、心の中を知る自分としてはガラリと変えられたということをお証詞することが出来ます。
 また、神様は個人個人を非常に大切にしてくださいます。神様は人間を評価するときに、誰かと比較するようなことはなさいません。その人自身を見つめて評価してくださいます。
 私自身立派なクリスチャンとは、とてもいえませんが、自信をもっていえる事はイエス様を信じている現在の自分と、もしイエス様を信じていなかったであろう自分を想像するときに、今の自分の方がはるかに良い人間だろうなと言う事です。他のだれかではなく、自分自身と比較するときに、本当にイエス様を信じて良かったと感謝しています。

S.K.