人間のゆくえ
「そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。
ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えてくることも出来ないのです。」
新約聖書 ルカの福音書 16章26節
ある所に金持ちがいました。いつも高価な衣類を身にまとい、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。一方、その金持ちの門前に貧しく病気で、食べるものにも困るラザロという人が横たわっていました。お腹がすいて、この家の残り物でも良いから食べたいと思っていました。しかし誰も寄りつかず、犬だけがラザロのからだに出来たおできをなめにやってくるだけでした。
そのうち、この哀れなラザロは死んでしまいました。天の使いに連れられて行った所は、神様を信じて正しい行いをした人たちのいる楽しい所でした。そのうち金持ちも死んで葬られましたが、その行き先は地獄でした。彼が苦しみあえぎながらふと目を上げると、はるかかなたにあのラザロが楽しそうにしている姿が見えます。金持ちは声を張り上げ、「神様、どうぞお助けを。お願いです。ラザロを私の所によこし、水に浸した指先でほんのちょっとでも舌を冷まさせて下さい。この炎の中で、もう苦しくて苦しくてたまりません。」と叫びました。
お話はまだ続きますが、天国と地獄とは大きな溝があって行き来が出来ません。金持ちは気が付くのが遅かったのです。どんなに後悔しても取り返しのつかない永遠の地獄へ道を進めてしまいました。このお話から、私たち人間の行き先は、この世の生き様で決まるという事がわかります。決して脅しではありません。どんなに地上での生涯が富んでいても、神様を計算に入れないなら永遠の損失です。反対にどんなに貧しく、地位、名誉、財産がなくても真の神様を信じ従っていく生涯は永遠の生命であり、本当の幸せの道なのです。